既に御承知の事と思いますがこの度、私、及川知浩は来る12月23日(月祝)SHOOTBOXING及川道場主催「及川知浩引退興行~完全相伝~」を持ちまして現役引退をする事に成りました。 私を育ててくれたSHOOTBOXINGと地元関西に御礼をしたい・・・及川道場を立ち上げて11年、成長した選手一人ひとりの姿を関西の人に見てもらいたい。子供達に自身の最後の戦っている姿・背中を見てもらいたい・・・ 応援してくれた方々に最後は大阪で!という想いが有りましてこの度引退興行をさせて頂く事と成りました。 一人でも多くの方に足を運んで頂きたい、観戦して頂く方々に思う存分楽しんで頂きたい、そうした思いで一杯です。お時間などございましたら是非御越し頂ければ幸いです。
2013年12月23日―
シュートボクシング日本スーパーフェザー級前王者及川知浩の引退試合が行われることが決まった。2000年にデビュー、2002年に初戴冠。その後10年もの長きに渡り王座を保持し、
SBの絶対王者と呼ばれてきた及川。傍目には順風そのものとしか映らない格闘技人生だが、その栄光の裏側には想像を絶した血汗が滲む。
子供の頃から―
格闘技一色の生活。格闘技雑誌の告知コーナーをチェックしては各地の競技会に参加、弟(ナグランチューンマーサM-16)と共に荒らし回っていたという。アマチュアとして名を馳せた後、プロへと転向。
同階級の選手と比しても決して恵まれているとは言えない体格も、持ち前の研究心と猛烈な練習量で克服し、
デビュー僅か二年で王座へ。また多くの他流試合(他団体の王者対決)に自ら臨むなど、SBにとどまらない活躍で格闘技界を席巻した
以後は選手として、指導者として、そして道場長として多忙な日々を送ってきた。近年は指導者としての側面が注目されがちな及川であるが、その本質は勿論選手としての自分にある。 下の子たちにとって、いつまでも強い壁であり続けたい」と語る及川。同世代のファイターが引退していく中で10年に渡り王者として君臨してきたプライドが透けて見える。 『若い選手がどんどん出てくる。でもそんな簡単に時代を動かすわけにはいかない。意地ですよ』多くのプロモーションが東京に集中する状況の中、それでもあえて大阪での活動にこだわり続けた 『日本の格闘技界は東京が本場。でも僕は大阪の「何もない環境の中で結果を残す事」で関西の意地を示したい。こっちでも強くなれるということを証明したかった』 そうしてガムシャラに走り続けてみると、 及川の背中を追うように新しい才能が次々と芽吹き、続いた。マーサ、安東、RENA、MIO・・・気付けば及川道場が獲得したベルトの数は8本を数える。多くの仲間に恵まれ、及川道場の名が全国に響き渡るようになった今、 24歳でデビューした及川も、既に38歳になっていた。
「自分のすべき最低限の事は出来た」それでもう大丈夫だと思った・・・』激戦の爪あとは体のそこかしこに残される。両膝の靭帯は損なわれたままだ。 それでも怪我を言い訳にしたことは一度もない。負傷箇所があれば、そこを打たせなければいいと考え、実際にそうして試合に臨んで来た。晴れの引退試合を前にしても、その姿勢に全くブレはない。『引退試合だからといって、楽な試合をやるつもりはない。今までで一番強い自分として、リングに立ちますよ』 と笑う及川。生まれて来るのが遅すぎたと言われた現代のサムライが描く切っ先は、如何に。
語り手:有馬信介