及川道場

06-6463-8757
受付時間:AM9:00〜PM7:00

Oikawa Tomohiro及川知浩

プロフィール

リングネーム 及川知浩
本名 及川知浩
生年月日 1975年12月4日
出身地 大阪府
出身校 桜ノ宮高校
血液型 A型
身長 164cm
体重 63キロ
デビュー 2000年1月17日
戦績 41戦28勝13敗
特技 -
タイプ オーソドックス
主な経歴 SB日本スーパーフェザー級王者
SNS

戦歴

大月晴明(マスクマンズ/元WPKC世界ムエタイ&元全日本ライト級王者)×7R 判定0-3
キ・ヒュクチョイ(韓国/太雄会館/韓国ムエタイ連盟フェザー級王者) × 2R TKO
DJ taiki (フリー) × 2R KO
パジョンスックポープラムック(ポープラムックジム)ルンピニースタジアムバンタム級3位 ○ 3R 判定
鈴木博昭 (ストライキングジムAres)SB・スーパーフェザー級1位 ○ 5R 判定(Sフェザー級王座防衛)
鈴木博昭(ストライキングジムAres)SB・スーパーフェザー級1位  × 3R KO
石井宏樹 (新日本キックボクシング) × 3R 判定  (TOUITSU GP準決勝戦)
森本達也 (日進会館)  ○ 延長4R 判定         (TOUITSU GP一回戦)
壮泰 (橋本道場)MAキックSライト級王者 × 3R 判定
石川剛司 (シーザー) SB・フェザー級1位 ○ 5R 判定  (日本Sフェザー級王座防衛)
ジュン・ビュング(天氣ジム) ムエタイ三冠王× 延長7R判定
阿部 裕幸(修斗環太平洋ライト級ランカー) ○ 3R TKO
末廣智明(2007北斗旗軽量級王者) ○ 3R 判定
三原日出男(シーザー)SB・スーパーフェザー級4位 ○ 1R TKO
ツァン・ジャヒ(韓国/泰雄會館/韓国ムエタイ協会フェザー級王者)○ 5R判定
石川剛司 (シーザー) SB・フェザー級1位 ○ 3R TKO
ヌアナパー・チョー・チャナンモー(タイ) ○ 5R判定
ラジャサクレック・ソーワラピン(ウィアサクレック)×1RTKO(額からの出血による)
竹村健二 (元全日本キックフェザー級1位)○ 3R TKO
山本真弘(全日本キックフェザー級王者)× 3R判定  (IKUSA-GP 準決勝戦)
大高一郎(MAキックフェザー級王者)○ 3R判定  (IKUSA-GP 一回戦)
ジェフリーマヌーパサ(BPMオランダライト級)○1R KO
ダンローリングス (元WKA世界ライト級王者)○ 5R判定
梅下湧暉(U-FILE)J-NETフェザー級4位 ○ 5R判定
松浦知希(風吹) SB・S・フェザー級チャンピオン ○5R判定  (日本Sフェザー級王座奪回)
歌川暁文(シーザー) SB・S・フェザー級5位 ○ 5R判定
テーワリットノーイSKVジム(元ラジャダムヌンジュニアライト級王者) ×5R判定
松浦知希(風吹) SB・S・フェザー級1位 ×3R KO (王座転落)
カチャスックピサヌラチャイ(元ラジャダムヌンバンダム級4位) ○ 5RKO
対海波(中国散打60キロ級王者)×3R判定(中国にて)
前田辰也(元SB Sフェザー級王者) ○5R KO  (日本Sフェザー級新王者となる)
三原日出男 ○ 1R KO
小石原勝 (MAキックSフェザー級王者)× 3R判定
高久雅裕 ○ 3R KO
三原日出男 ○ 1R KO
高屋敷哲明 ○ 3R KO
田村聡太 ○ KO 2R KO
三原日出男 × 3R判定
市政貴文 ○ 3R判定
高久雅裕 ○ 3R判定
工藤純志 ○ 3R判定
白井真 ○ 1R KO デビュー戦

Greeting引退のご挨拶

既に御承知の事と思いますがこの度、私、及川知浩は来る12月23日(月祝)SHOOTBOXING及川道場主催「及川知浩引退興行~完全相伝~」を持ちまして現役引退をする事に成りました。 私を育ててくれたSHOOTBOXINGと地元関西に御礼をしたい・・・及川道場を立ち上げて11年、成長した選手一人ひとりの姿を関西の人に見てもらいたい。子供達に自身の最後の戦っている姿・背中を見てもらいたい・・・ 応援してくれた方々に最後は大阪で!という想いが有りましてこの度引退興行をさせて頂く事と成りました。 一人でも多くの方に足を運んで頂きたい、観戦して頂く方々に思う存分楽しんで頂きたい、そうした思いで一杯です。お時間などございましたら是非御越し頂ければ幸いです。

絶対王者と呼ばれて

2013年12月23日― シュートボクシング日本スーパーフェザー級前王者及川知浩の引退試合が行われることが決まった。2000年にデビュー、2002年に初戴冠。その後10年もの長きに渡り王座を保持し、 SBの絶対王者と呼ばれてきた及川。傍目には順風そのものとしか映らない格闘技人生だが、その栄光の裏側には想像を絶した血汗が滲む。
子供の頃から― 格闘技一色の生活。格闘技雑誌の告知コーナーをチェックしては各地の競技会に参加、弟(ナグランチューンマーサM-16)と共に荒らし回っていたという。アマチュアとして名を馳せた後、プロへと転向。 同階級の選手と比しても決して恵まれているとは言えない体格も、持ち前の研究心と猛烈な練習量で克服し、 デビュー僅か二年で王座へ。また多くの他流試合(他団体の王者対決)に自ら臨むなど、SBにとどまらない活躍で格闘技界を席巻した

2002年に独立、『龍栄武舘及川道場』を設立

以後は選手として、指導者として、そして道場長として多忙な日々を送ってきた。近年は指導者としての側面が注目されがちな及川であるが、その本質は勿論選手としての自分にある。 下の子たちにとって、いつまでも強い壁であり続けたい」と語る及川。同世代のファイターが引退していく中で10年に渡り王者として君臨してきたプライドが透けて見える。 『若い選手がどんどん出てくる。でもそんな簡単に時代を動かすわけにはいかない。意地ですよ』多くのプロモーションが東京に集中する状況の中、それでもあえて大阪での活動にこだわり続けた 『日本の格闘技界は東京が本場。でも僕は大阪の「何もない環境の中で結果を残す事」で関西の意地を示したい。こっちでも強くなれるということを証明したかった』 そうしてガムシャラに走り続けてみると、 及川の背中を追うように新しい才能が次々と芽吹き、続いた。マーサ、安東、RENA、MIO・・・気付けば及川道場が獲得したベルトの数は8本を数える。多くの仲間に恵まれ、及川道場の名が全国に響き渡るようになった今、 24歳でデビューした及川も、既に38歳になっていた。

弟がベルトを獲って

「自分のすべき最低限の事は出来た」それでもう大丈夫だと思った・・・』激戦の爪あとは体のそこかしこに残される。両膝の靭帯は損なわれたままだ。 それでも怪我を言い訳にしたことは一度もない。負傷箇所があれば、そこを打たせなければいいと考え、実際にそうして試合に臨んで来た。晴れの引退試合を前にしても、その姿勢に全くブレはない。『引退試合だからといって、楽な試合をやるつもりはない。今までで一番強い自分として、リングに立ちますよ』 と笑う及川。生まれて来るのが遅すぎたと言われた現代のサムライが描く切っ先は、如何に。

語り手:有馬信介